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  2017年05月10日    

箱根駅伝を沸かせた八木勇樹・三田裕介コンビ。二人の歩みと共に追いかける夢

2010〜2011年、早稲田大学の駅伝3冠(出雲・全日本・箱根)の立役者だった八木勇樹・三田裕介コンビ。この二人の今までの歩みと新たなる挑戦とは?!

ランチップス編集部

2010〜2011年、早稲田大学は大学駅伝3冠(出雲・全日本・箱根)、関東インカレ・日本インカレ総合優勝を達成し伝統ある競走部の歴史に大きな功績を残した。
その原動力となったのが早稲田大学の名コンビとして知られていた競走部主将を務めた八木勇樹と長距離ブロックリーダーの三田裕介だった。
早稲田大学を卒業後、二人は別々の道を進む。八木は旭化成の実業団を経て2016年にプロ転向。三田はJR東日本・NTNと実業団で活躍後、2016年に競技生活にピリオドを打つ。
そして2017年5月二人の人生が再び交わる。舞台を表参道のランニング専門施設「SPORTS SCIENCE LAB(スポーツサイエンスラボ)」に移し、二人の新しい挑戦がスタートする。
今回は二人の今までの歩みとこれからの展望についてインタビューを実施した。

しのぎを削りあった高校時代。才能で先行したのは三田裕介だった。

ランチップス編集部(以下 編集部):
二人はどこで出会ったんですか?

八木勇樹(以下 八木):
三田との出会いは高校に入学直後、僕が入学した西脇工業高校と三田が入学した豊川工業高校による合同合宿でした。両校の1年生のみで行われるインターバルトレーニングで僕がペーサーをやっていたのですが、途中から三田が涼しそうな顔して
「先行っていいですか?」
と一人集団から抜けて独走していきました。今でもその光景は忘れられません、、、笑
両校合わせた選手の中でも三田は頭一つ抜けていました。

三田裕介(以下 三田):
それ、何となく覚えているわ!笑
中学までは長い距離を走るペース走なんて走ったことが無かったので、合宿中で唯一力を出せたのがインターバルだったんですよ。
自分もその合宿で西脇工業には八木といういい走りをする選手がいるなと印象に残っています。
皆んな坊主頭で同じトレーニングウェアで選手の見分けがつかない中でも八木の走りには周りとの違いを感じました。

八木:
三田と話をしたのはその合宿が初めてでしたが、僕は三田のことは中学時代から知っていました。
野球部なのに全中(全国大会)の3000mで5位に入賞してしまう漫画のような選手でした。
ちなみに僕は全中で予選落ちでした。

編集部:
すごい!三田さんは野球もすごかったのですか?

三田:
野球は市内で3位(最下位)でした、、、笑
ただ、野球部の練習後に毎日ショートインターバル・タイムトライアルなどをやっていました。
中学校には陸上部が無く、野球部に所属しながら陸上の大会にも出ていました。
野球の試合の翌日、陸上の大会に出るなんてこともありました。
先ほどのインターバルで独走したくだりは中学時代の走塁練習の賜物です。

八木:
三田ときちんと話をしたのが、高校1年生の10月に行われた国体の3000m種目の表彰式でした。
これが三田と一緒に走った初めてのレースでもありました。

編集部:
初めての対戦ではどちらに軍配が上がったのですか?

八木:
三田が圧巻の走りで高校1年生日本歴代最高記録を樹立し、完敗でした!笑
そのレースでは2位になることができたのですが、優勝した三田からは80mくらい離されました。
実際に三田と初めて一緒にレースを走って「これは1番になるには生半可な努力では足りない、同い年の三田には負けたくない」と感じたのを覚えています。あの時の思いがその後の成長につながりました。
ちなみに三田は国体の2週間後に5000m種目に出場し、悪条件の中、高校1年生では出せないようなすごい記録を出しました。当時の三田は僕らの周りでは頭1つ抜けていました。

三田:
その4ヶ月後の2月に浜名湖で開催された駅伝で八木と僕で同じ区間を走ることがありました。
ちょうど同じタイミングでタスキを受け取り、最初から最後まで八木と並走して、ゴールタイムも同じくらいでした。
この時八木が4ヶ月前とは別人のような走りをしていることに驚きました。

八木勇樹の飛躍と三田裕介を襲った挫折

八木:
1年で快進撃を見せていた三田はいつ5000mで13分台を出すのかと周囲からも注目されていました。

三田:
そうですね、1年の終わりから実業団の参加するレースにも参加するようになりましたが、結果的にコンディションを徐々に落としていくことになりました。
2年のインターハイでは僕は予選落ち、八木は2年生ながら日本人トップという成績でした。
予選が終わり貧血でダウン気味の時に「決勝頑張ってな」と八木に声をかけたのを覚えています。
あの頃を境に八木は本当にすごかったね。

八木:
あの時期は僕に革命が起きました!笑

三田:
インターハイ後の国体でも日本人トップをマークしマークし、全国高校駅伝では3区で区間賞(前年は三田選手が3区区間賞)、クロカンでも日本代表として選出され世界大会に出るなど、活躍の場を広げていきました。
僕は八木の活躍をテレビで見ていました。

八木:
インターハイ・国体で日本人トップという成績を収めることができ、そのあたりから「日本一にならないといけないな」という自覚も芽生えてきました。

三田:
八木の飛躍とは裏腹に僕はコンディション不良に苦しみ、走ることすらできなくなってしまいました。2年生の終わりからは選手からマネージャーに役割が変わり、体重もベストの状態から10kg近く増加していました。
その後3年の4月までマネージャーとして活動していましたが、インターハイの舞台で再び八木と走りたいという思いから再起をかけて練習(&ダイエット)を再開しました。当時は部内での出場枠を獲得することすら難しい状況でした。
何とか地区予選の出場権を部内で獲得し、地区予選を4位で通過、その後県大会で2位、東海では優勝することができ、八木と再びインターハイの舞台で戦える切符を手にしました。

八木:
三田の地区予選・県大会・東海大会での結果は常にチェックしていました。
徐々に大会を重ねるごとにコンディションを上げているのが分かりました。
三田は昔からレースに向けてのピーキングが非常に上手い選手で、インターハイでは相当仕上げてくることが予想できました。
僕自身も経験ありますが、この時期はわずか1ヶ月でも別人のように走りが変わることがあるんです。

三田:
そして迎えたインターハイ。何と予選で八木・中山(後に八木・三田と共に早稲田大学に入学)と3人で同じ組を走るという!笑
インターハイには予選の壁というものがあるんです。僕はインターハイで予選を突破したことがなかったので、正直予選の走り方が分からなかったんです。そこで予選通過が確実視されている八木の後ろに最後までついていき、予選を通過するという戦略に出ました。そうしたら何と八木が最後尾からスタートして、僕がその後に着くという状態になり、びっくりしました。
「八木がいつ来るか」と牽制し合い、レースがスローペースで進む中、八木はどこからスパートをかけようかと位置どりを考えながら様子を伺っていました。後ろから八木の走りを見ていて「レースってこうやって走るんだ」と知ることができました。

八木:
途中で三田がペースアップし、自分がその後ろから追ってという形で二人とも予選通過をすることが出来ました。

三田:
蛇足ですが、中山は予選をこけても通過しました。

八木:
ちなみに近畿大会でも中山はこけてるけどね!笑

三田:
八木は予選が終わっても疲れた素振りを一切見せず、控え場所まで帰っていくんですよ!笑
次の日の決勝は八木が日本人トップ、僕が2位で中山が3位となりました。

八木:
高校時代最後に一緒に走ったのはその後の都大路の1区だね。

三田:
ケニア勢につく八木には無理してついて行かずに、僕は自分のペースで刻んでいくレースプランでした。スタートからしばらくは八木が後ろについていることが分かっていて、「いつ出てくるんだろう」と思いながら走っていました。最後スパートをかけたゴール数十メートル前になっても八木が出てこないので、おかしいなと思って振り返ったら誰もいないくて「八木、いないんかい!」みたいな。

八木:
都大路は直前に風邪をひいてしまい、現地にも他の選手に遅れて入りました。直前まで棄権すべきか迷っていたのですが、都大路の1区を走れるのは僕だけで誰にもバトンタッチができる状態でなく、体調不良を誰にも言えずレースに出るしかありませんでした。直前の練習が終わった後に体調不良を隠すために草むらに隠れてました。。。
レースでは6kmくらいまで三田の背中について行ったのですが、そこからどんどん三田の背中が離れていき、、、冷静に「このレース三田が勝つんだろうな」と背中を見て思いました。
あの時期はそれがトラウマになり、3月まで謎の微熱が続き、当時は心身ともに崩壊していました、、、苦笑

三田:
あのレース後に八木から「(全力出せなくて)三田ごめん」と声を掛けられてたのを覚えています。
普通そんな状況で好走したライバルに対して「ごめん」なんて言えないじゃないですか?!
その時に八木はすごい選手だなと感じました。

八木:
高校時代は三田がいたから頑張れたとても濃密な時間でした。

二人の歩みが交差した大学時代。大学駅伝3冠など偉業も達成!

編集部:
その後、高校時代にライバルだった二人は大学で一緒になるんですね。

八木:
僕自身は高校卒業後の進路としてどの大学に行くか決めあぐねていました。僕が早稲田大学への入学を決めたのは、10月頃にもらった三田からの連絡でした。
三田はすでに早稲田大学への進学を決めており、「早稲田大学で一緒に走ろう」と声をかけてくれました。

編集部:
大学時代も二人は良きライバル関係だったのでしょうか?

三田:
大学に入ってからは僕らはライバルという意識は全くと言っていいほどありませんでした。
練習中も飯食うときもプライベートもいつも一緒のコンビでした。
離れている時間がありませんでした。
お叱りを受けるのもいつも2人セットでした、、、笑

八木:
多分高校時代同じような境遇で全力でやってきたという体験が、深い部分でお互い繋がりを感じるところになったんじゃないかなと思います。
ただ、1年の時までは練習前のウォーミングアップもずっと一緒だったのですが、途中から三田が何か感じるところがあったのか、ウォーミングアップは別々にやるようになりました。

三田:
1歩先にいる八木と同じ練習をしていたら、八木には追いつけないなと思ったんです。

八木:
僕と三田ではレースに向けた調子の上げ方が違うんですよね。
僕は毎回の練習に集中して、練習で高い出力を出して一気に調子を上げていくタイプ。三田は練習でそこまで高いパフォーマンスを出すタイプではないんですが、ターゲットレースに向けて自分のやり方で徐々に調子を上げてレースでベストパフォーマンスを出せるタイプでした。そこは三田は選手としてすごいところでした。
特にそれが顕著に出たのが大学1年生時の初めての箱根駅伝。当初は僕が4区を走る予定でしたが、僕は直前に体調を崩してしまい、三田を4区に起用し、僕は少しでも体を休められるように7区に配置変換されました。
三田はこの時もピーキングが完璧で、4区区間新記録(当時)を出し、トップでタスキをつなぎました。

三田:
あの当時は早稲田大学には後輩も強い選手がどんどん入ってきて、本当に強いチームだったよね。

八木:
すごい力のある選手が揃っていたけど、同学年には東洋大学に柏原がいて、タイトルは3年の時しか取れずに苦戦をしたよね。

編集部:
やはり当時は早稲田に並んで東洋大学もいい選手が多かったんですね?

八木:
そうですね、東洋大学にはいい選手が多かったのですが、総合力では早稲田も負けてはいませんでした。
ただ、箱根駅伝は5区に怪物がいるとめちゃくちゃ大きなアドバンテージがあります。
2分くらいの差であれば5区の区間だと簡単にひっくり返されてしまう。だから5区になる前に東洋と勝負をつけなければならないと焦り、力を出し切れなかった大学も多かったと思います。
もちろん柏原だけでなく、東洋は他にも強い選手が揃っていましたね。

編集部:
やはり5区はそれだけ差がつきやすい区間なんですね。

八木:
僕、2年の時に5区を走って6分差がつきましたからね、、、苦笑
山登り候補2人が欠場を余儀なくされ、一番練習を積めている「八木で行くぞ」みたいな感じで直前に5区を任されました。
当初のレースプランでは大幅リードでタスキを受け取る予定でしたが、柏原との差20数秒前にタスキを受け取り、2kmくらい走ったところですでに横にいました。そして5kmでなぜか僕のスタミナが切れるという。。。
あの年の箱根は僕で勝負が決まってしまったようなものだったので、責任感を感じるどころではありませんでした。
三田は2年目出てないんだっけ?

三田:
僕はあの頃は全然ダメでしたね。
心と体のバランスが不均衡になってしまうと全く走れなくなってしまうんですよね。
あんなに「速くなりたい」「練習したい」と思っていても全く走れないんです。「これどういうこと?」って当時はものすごく悩みました。
僕は「他の選手と比べて」とか「みんなと同じ練習メニューを」という形で型にはめられてしまったり、練習に意義を感じられなくなってしまうとパタリと走れなくなってしまうんです。
実業団に入ってから、僕は自分の感覚を頼りにしながら、自分に合った練習を実践していくやり方が合っているんだなということに気づきました。

八木:
三田は感性で走るタイプだからね。

三田:
八木が競走部主将になってからは、自分は長距離ブロックのリーダーとして、八木の考える方向性を実現できるようにサポートをするようになりました。
それまでは仲間として一緒に並走していた二人が、一緒になったというようなイメージで、二人でいる時間がさらに増えました。
キャプテンやリーダーは合宿所で個室が与えられるのですが、夜までお互いの部屋に入り浸って語り合い、そのまま寝ちゃうみたいなことは日常茶飯事でした。
部のミーティングはいろんな価値観の人が集まるので、がっつり意見がぶつかるような場でしたが、八木と僕の意見がぶつかることはほとんどありませんでした。
基本的には八木が打ち出す方針について僕はノーと思ったことはありませんでした。
どうやったらチームが良くなっていくかをいつも一緒に考えていました。

八木:
多分三田も思うところは色々とあったと思うのですが、僕に合わせてくれていたんだと思います。
自分が主将になってから三田をはじめとして、いろんな選手が僕をサポートしてくれました。僕らの代は種目の壁をみたいなものがなく、競走部としてものすごくうまくいっていました。
出雲・全日本・箱根の大学駅伝を3冠できたことはもちろん嬉しかったのがですが、さらに嬉しかったのは、長距離だけでなく中距離・短距離などすべての種目の結果で決まる関東インカレ・日本インカレに総合優勝できたことでした。違う種目の選手とのコミュニケーションを増やし、お互い「どんな目標を達成するためにどんな練習をしているのか?」また「どんな考え方で競技に向き合っているのか」など内面も知ることにより他の種目の選手の応援にも俄然力が入りました。インカレでは形式上の応援でなく、種目を超えて心底仲間に勝って欲しいと応援し合えました。

三田:
あの時の競走部のメンバーは今振り返っても、他の年代にはないくらい仲が良かったと思います。
僕らは種目関係なく食事も一緒にしたし、ミーティングもたくさん行いました。

八木:
後輩とも仲が良かったよね。僕が主将の時には最低限の規律ややるべきことをやっておけば意味のない上下関係なども必要ないなと思っていました。
たまに「こいつらなめとるんちゃうか?」と思うようなことも多々ありました、、、笑
4年の時は怪我に泣き、競技としては結果で返せませんでしたが、とても貴重な経験ができた1年でした。

社会人になり別々の道へ。三田の競技引退と八木のプロ転向。

編集部:
卒業後は実業団として別のチームに入りましたね。八木さんは旭化成、三田さんはJR東日本で競技を続けられましたね。

八木:
大学時代は毎日のように一緒にいましたが、卒業後は二人でいる時間も一気に減りました。笑

三田:
お互い練習の拠点もバラバラだったしね。
でも近況報告をしたり、たまに練習を一緒にしたりと定期的には連絡を取っていました。

八木:
実は僕がプロ転向を意識し始めたのは三田の影響なんです。
過去に三田がプロ転向しようと考えていた時に相談を受けていました。
その時に自分達が本当に成長できる環境って何だろうっていう話をとことんしました。
三田とはまた一緒にやることになるんだろうなと感じていました。

三田:
自分自身独立を考えたきっかけが「皆がやっているからやらなきゃいけない」とか「この練習をこなせないと強くなれない」という画一的な練習方法が自分に合わないことに気づいたからでした。
「自分が強くなるためには何が足りないのか?」「そのために必要な練習は何なのか?」ということを考え始めると組織の中で決められた練習メニューをこなしていくやり方が自分自身には合わないなと感じていました。
そんな中、プロ転向して個人として活動していく道も選択肢の1つとして考え、八木にも相談していました。

八木:
この三田の考え方には共感する部分があり、自分自身もプロ転向を意識するきっかけになりました。
実業団の練習方法や仕組みが良い悪いという議論ではなく、あくまで練習方法が合うか合わないかの問題です。
もちろん実業団の練習方法がピッタリとはまって、実業団で練習を積んで能力が大きく開花する選手もいます。
でも僕たちにはそのやり方は合わないなと実業団の競技生活の中で感じました。
今までの日本の陸上界の成功体験をなぞるだけでは世界との差はますます開くばかり。自分なりにどうやったら世界と戦えるかを考えて、そこに向けた自分なりのアプローチで挑戦してみようと思いました。一度きりの人生だし、自分の可能性に賭けてみようと、独立を決意しました。もちろん独立を相談した時に三田もサポートしてくるれると言ってくれたのも大きな後押しとなりました。

三田:
八木が独立したのは僕が競技を引退してから3ヵ月後でした。僕の人生において八木を再びサポートし、二人で再び同じ目標に向かって歩む道が見えてきました。

二人の理想を形にしたランニング専門施設「SPORTS SCIENCE LAB」

編集部:
2017年4月に三田さんはNTNを退職され、表参道に5月10日オープンのランニング専門トレーニング施設「SPORTS SCIENCE LAB」を八木さんと一緒に創られましたね。
どういったサービスを提供される施設なのでしょうか?

三田:
僕らの学生時代に比べて技術が進歩し、ランニングに関してもテクノロジーでできることが増えました。膨大な生体データを取得できるようになったり、東京都内でも高地トレーニング同様の効果が得られる低酸素トレーニングができるようになりました。
これらのデータを活用したり、最先端のトレーニング環境を提供することにより、もっとランナーにとって成長できる喜びを実感できる場を提供していきたいと考えています。

八木:
自分らの学生時代なんて、時計はLAPがいかに取れるかしかなかったもんね。
今は心拍数・ケイデンス・接地時間・上下動とか時計からも色々なデータが取れるからね。
あの時からは想像ができない、、、笑
今常識になりつつあるトレーニング手法は、学生時代には考えも及ばないものでした。

三田:
現在スポルテック(スポーツ×テクノロジー)という言葉が話題になっている通り、テクノロジーでスポーツが変わりつつあります。
ランニングに関して言えば、生体データを取得することによって、15分間走るだけでその人のフルマラソンのベストタイムが予測できます。
低酸素トレーニングでは30分のジョギングで1.5時間以上の高強度トレーニングと同等の心肺トレーニングが可能となります。
また、ランナーの強みや弱みを数値化できるので、どのような練習をすれば最短距離で成長できるのか個人の特性に合わせたアドバイスをすることができます。
「SPORTS SCIENCE LAB」ではランナーの能力測定、低酸素トレーニング、個々の特性に合わせたパーソナルトレーニングを主要サービスとて提供します。

八木:
自分もランニングチームを約1年間運営してみて、画一的な練習メニューをこなすだけには意味がなく、その人の特性に合わせて練習メニューを組んだり、練習の目的を意識してもらうことがとても重要だということに気づかされました。その一環でオンラインパーソナルトレーニングシステムなど新しい仕組みも開発しました。
「SPORTS SCIENCE LAB」では一人一人に合った練習メニューの裏付けとなるデータも提供できるようになるといいなと思っています。

三田:
自分のことをきちんと把握できれば、何をしなければならないか見えてきます。
ランナーにとって正しい努力ができる環境や機会を提供できれば、必ず走力は伸びます。
自分自身も「強くなるためには何が足りないのか?」「そのために必要な練習は何なのか?」と考えて練習をして走力が伸びる喜びを経験してきました。
数字による裏付けは成長したいランナーにとっては大きな武器になると思います。
「SPORTS SCIENCE LAB」ではTOP選手から市民ランナーまで走力問わず、何かしら成長のための気づきを提供できる場にしていきたいです。
僕と八木で「ランナーにとってこんなものがあったらいいよね」という理想を形にした施設です。

八木:
「SPORTS SCIENCE LAB」という施設を作れたことは1歩目のステップです。
こういった科学的アプローチに加え、長期的な視点で強い選手を育成できるような環境・仕組みもこの先作っていきたいです。
アンチテーゼではないのですが、今の陸上界に新しい風を吹かせたいです。
本当にこれからどんどん世界で勝負できる選手が出てきて欲しいなと。
そんな形で今までお世話になった陸上界にも恩返しをしていけたらいいなと思います。

三田:
俺は八木には競技者として世界で勝負して欲しいよ!

八木:
おう、頑張るわ!!

最後に

いかがでしたでしょうか?
早稲田大学でも名コンビだった八木勇樹選手と三田裕介さんの今までの歩みとこれからの展望についてお聞きしました。
二人が創ったSPORTS SCIENCE LABでは「ランナーの能力を数値化したVO2MAXやAT値の測定」「低酸素トレーニング」「ランニングフォームチェック」「パーソナルトレーニング」などTOPを経験した二人の理想を追求したサービスメニューが用意されています。
成長するランナーは是非門を叩いてみてはいかがでしょうか?走力問わず成長したいランナーをサポートしてくれるはずです。

All Photos taken by Masaya Odaka

ランチップス編集部 ランチップス編集部
ランチップスの運営スタッフがランニングが楽しくなる、トレーニングに役立つ情報を発信します。
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カテゴリ: トレーニングに関するTips


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