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  2017年05月30日    

フジテレビシニアコメンテーター鈴木款さんが砂漠を250km走ったストーリー

普段はフジテレビの展開するメディア「ホウドウキョク」でコメンテーターとして活躍する鈴木款さんにサハラ砂漠マラソン挑戦についてお話をお伺いしました。

ランチップス編集部

世界には様々なランニングレースがあります。走り初めの方にはフルマラソンでさえ現実から遠く離れた世界に感じるかもしれません。ニューヨーク、ボストン、ベルリン、ロンドン、シカゴ、東京など6大メジャーと言われるビッグレースから、北極や南極・エベレストを走るレース、ディズニーワールドの中を走れるレースまで世界中には様々なマラソンレースがあります。
そんな中でも最も過酷なレースの1つと言われているのが砂漠の中を7日間かけて250km走る砂漠マラソンです。今年も4月30日から5月6日にナミビアでサハラ砂漠マラソンが開催されました。このレースを走ったフジテレビのシニアコメンテーター鈴木款さんに砂漠マラソンのストーリーをお伺いしました。

健康のために始めたランニング、やればやるほど新しいステージが見えてきた

アイアンマンを達成した時の鈴木氏

砂漠マラソンという超過酷レースに参加された鈴木さんがランニングを始めるきっかけとは何だったんでしょうか?

鈴木款(以下鈴木):
2011年に東日本大震災が起こり、私は当時フジテレビの経済部で東京電力福島第一原発事故の担当記者でした。業務は過酷を極め、体調不良が腰痛という形で体に出るようになりました。当時、鍼やマッサージ、整形外科などにかかっても一向に良くなる気配はなく、その時に勧められたのがランニングでした。どんな治療をしても良くならなかった腰痛はランニングを始めると同時に不思議と消えていきました。最初は通っていたスポーツクラブのインストラクターと一緒に走るところからのスタートでした。
その後もランニングを習慣として続ける中で、そのインストラクターからフルマラソンへの参加を誘われました。フルマラソン完走に向けてトレーニングを積み、2011年に出た湘南国際マラソンは5:30で完走することがきました。
実はその前にもフルマラソンは昔から10年に1度くらいのサイクルで計3回走ったことがありました。ただ、いずれも大した準備をせず、観光感覚で出場していました。当然のことながら、そんな感じで出ていたフルマラソンは完走という言葉とは程遠く、なんとか歩いてゴールという状態でした。2011年に出た湘南国際マラソンはそれまでのフルマラソンとは違い、しっかり目標に向けて準備をし、最後まで走りきることができたんです。

編集部:
そこからどんどんランニングにはまっていくわけですね?

鈴木:
湘南国際を走りきることができ、次は「サブ4を達成したい」という思いが湧き上がりました。新しい目標に向けてトレーニングを積み、時間がかかりましたが2014年にやっとサブ4を達成しました。
サブ4を達成して程ない2014年のGW明けに知人から「トライアスロンをやってみませんか?」と誘われたんです。そしてその年の9月に開催された九十九里トライアスロンに出ました。トライアスロンは種目を3種目(スイム:1.5km、バイク:40km、ラン:10km)こなさなければならない難しさはありますが、ランニングとは違った面白さがあるなと感じました。
トライアスロンの楽しさを知った後、「次はアイアンマン(スイム:3.8km、バイク:180km、ラン:42km)に挑戦してみよう」と思い立ち、また新しい目標に向けたトレーニングを実践し、2015年の4月に台湾でアイアンマンを達成しました。
アイアンマンを達成した後も「次は100kmのウルトラマラソンを完走したい」と思うようになり、2015年10月に四万十川のウルトラマラソンで何とか制限時間内に滑り込み完走することが出来ました。
アイアンマンやウルトラマラソンという過酷な競技を経験した後、「砂漠マラソン」という今までとは桁違いに過酷なレースの話を耳にしました。そしてちょうど1年前の2016年の5月にサハラ砂漠マラソンのエントリーを決め、そこから1年越しの挑戦が始まりました。

新しい世界に飛び込み、新しい環境を楽しむ

現在担当番組のホウドウキョク。谷川真理さんも応援に!

編集部:
ランニングではどんどん新しい世界が見えて、挑戦を繰り返してきたわけですね。
実際、鈴木さんはランニング以外でもチャレンジ精神旺盛なのでしょうか?

鈴木:
新しい世界が見えると飛び込んでしまいたくなるというのは私の性格なのかもしれません。
思い返すと仕事でも同じような経験をしてきました。
私は以前、金融機関で為替のディーラーをしていました。NY支店で働かせてもらったり色々と楽しい仕事を経験させてもらいました。しかし、NY支店から帰国した91年、バブル経済崩壊が始まっていました。当時日本政府が総量規制を行い、金融機関としても守りの業務に切り替えざる得ない状況でした。助けを求められている企業の力になれない無力さを感じながら、「元々人の役に立つ仕事をしたかったんだよなあ」と感じていました。
そんな中、湾岸戦争のさなかイラクから全メディア撤退命令を受ける中、CNNはイラクに残り続け、現場の様子を中継し続けたことを思い出し、「もしチャンスがあったらテレビ報道に携わる仕事をしてみたいな」と感じました。そのタイミングでたまたまフジテレビが中途採用をしており、30歳の時にフジテレビに職を移しました。
念願だったテレビ局の入社ですが、9年間は営業で広告代理店や企業回りを担当しました。しかし、「やはり報道現場の仕事がしたいな」という気持ちが強くなり、、フジテレビに入社10年目・40歳の時に念願だった報道の仕事に携わることができるようになりました。40歳にしてAD(アシスタントディレクター)から再スタートし、雑務や下仕事も多かったのですが、腕章をつけて現場に出てマイクを向けるという仕事が楽しく、毎週のようにある徹夜も苦に感じることもありませんでした。自分でネタを企画して、どんどん現場に出てというのを繰り返していました。目の前に見えてくる新しい世界にどんどん没入していきました。
その後報道2001という番組のディレクターを担当したり、NYの支局長として、アメリカに大きな爪痕を残したハリケーン・カトリーナやオバマ大統領の選挙取材なども経験しました。
現在は「ホウドウキョク」というインターネット放送でコメンテーターとして情報の背景にある意味や価値をわかりやすく正確に解き明かし、視聴者にタイムリーに届けることを使命として活動しています。

砂漠マラソンでスタートラインまでの道のり

レース直前に開催されたサハラマラソンの壮行会

編集部:
さて、話を元に戻しまして、砂漠マラソンのエントリーを決意してから約1年間どのような準備をしてこられたのでしょうか?

鈴木:
サハラマラソンの対策としては大きく2つをテーマに練習を実施しました。1つ目は「練習の距離を踏むこと」と2つ目は「ザックの重さに慣れる」ことです。
距離を踏む対策としては毎月1本60km〜100kmくらいのレースを入れるようにしました。
重さ対策としては休日に5kgのお米を2袋ザックに入れ、なるべく長い距離を走りました。プラスアルファで両足に重りをつけて走ることもありました。サハラマラソンは250kmの距離を7日分の食料を担いで走らなければなりません。総重量はスタート時10kg以上の重さになる想定でした。重いザックを背負って、砂浜を走ったり山を走りに行ったこともありました。遠くに行けない時は駒沢公園で走っていました。
あとは平日も通勤バッグの中に鉄アレイを入れてました。あの時は自分の荷物をいかに重くするかということが僕にとっては重要でした。

編集部:
凄まじいですね。朝早くにお米を2袋担いで出て行く鈴木さんをご家族はどのように見ていたのでしょうか?

鈴木:
なるべく家族には知られないようにしていましたが、ある日見つかってしまい、「このお米何?」と怪訝な目で質問をされたことがありました。
トレーニングで使っていたお米を今一生懸命食べています。

編集部:
そんなハードなトレーニングをして怪我などはされなかったのでしょうか?

鈴木:
大きな怪我はありませんでしたが、トレーニング過程で足底筋膜炎になってしまいました。
足裏の痛みは本番で出たらどうしようというと不安でした。

番組でも鈴木氏のランニングネタは有名。
コンビを組む西山アナも驚くトレーニング内容。

過酷を極めた砂漠マラソン

編集部:
超過酷なトレーニングを経て砂漠マラソンを迎えたのですが、レースはどんな感じだったのでしょうか?

鈴木:
サハラマラソンは7日間行われます。1日目〜3日目は約40km、4日目はロングステージで80km、5日目に休息日を置いて、6日目に約40km走って、7日目は10kmのウィニングラン。
1日目〜3日目は沿岸部を走ったので、比較的涼しく、順調に走ることができましたが、オーバーナイトで走る4日目のロングステージは別世界でした。4日目は距離の長さもさることながら、レースも内陸部で行われ、最高気温も45度くらいまで上がりました。風が吹いても熱風で、さらに暑く感じるというのは初めての体験でした。また、走っている時に飲む水もぬるま湯です。途中から熱中症気味になりボーッとしてきて、30kmくらいからヘタレこんでしまいました。給水するポイントのテントには、わずかな日陰を求めて選手が集まっています。自分も全身が熱くなり、全く動けなくなってしまいました。給水ポイントではなるべく体を冷やすようにアドバイスをもらい、Tシャツや靴を脱いで1時間くらい休憩をとりました。サハラマラソンの準備として距離対策と重さ対策はできていましたが、暑さ対策はできていませんでした。砂漠を実際に走ってみて足の筋肉の消耗というよりは暑さに心身ともにやられました。また、暑さはメンタルの消耗を招くということも改めて痛感しました。
40km地点には複数のテントが用意されたチェックポイントがあり、唯一お湯が提供されてスープなどを補給できます。18:00頃に到着しましたが、そこで2時間くらいの休憩を取りました。消耗しきった体を再び動かす気になれなかったのですが、たまたま一緒にいた日本人の選手が「一緒に行きませんか?」と声をかけてくれました。あの時に声をかけてもらえなければあそこでリタイアしていたかもしれません。
40km地点からの10kmは2時間半も時間を要しました。すでに周りは暗くなっていましたが、体の火照りは冷めず、風が吹いてもぬるい。単独走の時間が続きしばらく続きました。空には今にも降り落ちてきそうなほどの満天の星空と、静寂に包まれた中、聞こえる音は自分の足音のみ。現実と乖離した状況の中、1歩1歩足を進めるしかありませんでした。日本の仲間が出発前に日本国旗に寄せ書きをくれました。そのメッセージの中にあった「ゴールは逃げない」という言葉を何度も噛み締め「何が何でもゴールするんだ」という気持ちを奮い立たせ歩を進めました。
朝の5:00くらいに70kmのチェックポイントを出発しました。「そろそろ日が上がってくるからやばい!」と最後は急ぎました。たまたま一緒に居合わせた日本人選手が他にも2人おり、ロングステージのゴール地点は3人で手をつないでゴールしました。

日陰を求めるランナーたち。4日目のロングステージは過酷を極めた

編集部:
丸一日走り続けたロングステージ後には1日の休息日があるのですね?

鈴木:
ロングステージの後は1日オフの日がありました。ただ、食べ物を食べて、横になって寝るを繰り返しているだけの1日でした。
そして1日の休息の後に6日目の40kmです。これが終われば最終日のウイニングラン。最後の山場です。この日のコースは典型的な砂漠をイメージさせる風景で砂丘の中を走りました。この日は内陸部から再び沿岸部に戻り、気温も4日目に比べてだいぶ低い中走ることができました。
唯一辛かったのが、足のマメでした。1日目から4日目は不安要素だった足底筋膜炎の対策として持参したGONTEXの足裏専用テーピングをつけて走っていましたが、6日目と7日目の分は荷物として削らざるを得ず、テーピングなしで走らなければなりませんでした。このテーピングをしないで走るとすぐに足にマメができてしまいました。足裏のテーピングは多めに持っていくべきでした。

GONTEXの足裏用テービングにより、不安だった足裏の痛みも出ることはなかった。

6日目をクリアし、最終日はウイニングランの10kmを残すのみ。疲労も極限に達しているはずなのですが、最後の晩はすんなり眠ることができませんでした。「帰ったら何をやろうか?」「完走したらビールが飲みたいな」とかいろんなことが脳裏によぎりました。テントの中でもガサゴソと音が聞こえ、興奮して眠れなかった選手が多かったのではないかと思います。
最終日のウイニングランは「10kmだけだし、最後くらいは走りきってみようか」と思いましたが、前日にできた足のマメがつぶれて思うようなペースでは走ることができませんでした。ただ、今までの6日間やそれまでの準備を思い出したり、ゴールの後のことを考えたりしながら、砂漠レースの最後を噛み締めながら走りました。
そしてゴール。サハラマラソン完走者の称号を得ることができました。フィニッシュしてすぐにビールとはいきませんでしたが、冷えたレモンスカッシュを喉に流し込みました。

ゴール後メダルを手にして乾杯

砂漠マラソンを完走して起こった気持ちの変化

テントを共にした友人と育んだ友情

編集部:
実際に砂漠レースを走ってみて、どんなものが鈴木さんの心の中に残っているのでしょうか?

鈴木:
サハラマラソンは毎日のステージごとに景色が変わり変化が富んだコースでした。非日常の風景の中を7日間かけて堪能できることはもちろんですが、このマラソンを通じてできた友達、戦友と言うべきなのかもしれない仲間とのやり取りがとても思い出に残っています。
サハラマラソンは毎日ゴールしたらテントで過ごすのですが、テントの中のメンバーは毎日同じなんです。一週間寝食を共にし、過酷な体験をしている仲間とは深い友情関係が生まれます。
ランニングの話や仕事の話、家族の話、砂漠レースで感じたことなど色々な話をしました。自分のテントの中のメンバーが帰ってきていなければゴールテープのカットオフの瞬間を見に行ったりすることもありました。参加する前は1週間もシャワーを浴びることができないし、テント生活は辛そうだと思っていたのですが、テントの中での生活がサハラマラソンの良い思い出になりました。レースが終わった今でもFacebookでやり取りが続いています。砂漠マラソンを通じてかけがえのない友達ができたというのは大きな財産かもしれません。

編集部:
何か考え方に変化とかもありましたか?

鈴木:
サハラマラソンは必要な荷物は全て担いで走らなければならず、何を持っていき、何を置いていくかの判断は最後まで迷いました。1gでも荷物を軽くするために各ゴール地点で毎日捨てるものと持っていくものを精査します。5日目が終わった段階でダウンジャケットやウィンドブレーカー、アームカバーやカーフタイツなども捨てました。
究極的に「自分にとって必要なモノは何か」「不必要なモノは何か」という選択を毎日繰り返していく中でどんどんシンプルになっていくんです。そんな過程で「生きるために必要なモノって何だろう」ということも考えさせられました。人は思っている以上にモノがなくても生きていけるんだと感じました。

編集部:
参加者の皆さんそれぞれこの過酷なレースを通じて感じるものなどあったのでしょうね。

鈴木:
実は砂漠マラソンで一緒に走ったランナー数名にレース後に取材をさせてもらいました。
絶えず一緒に走って完走までこぎつけたオーストラリアから参加した女性の2人組。トラブルに見舞われた韓国人のランナーを助けながら制限時間ギリギリにゴールしてきた最年少の韓国人女性ランナー。メンタルに疾患を持つ女性ランナーを最初から最後まで歩きのペースで完走をサポートしていたチームドイツ。
同じ砂漠を走るレースでもそれぞれのランナーに物語や意義があるのですね。

編集部:
砂漠マラソンを完走されて、次はもっと過酷なチャレンジが続くのでしょうか?

鈴木:
いまは、もうこれ以上辛いものをやりたいとか、そういう気には今はなれませんね。砂漠マラソンもまた走るかと言われると。。。
ただ、テントメイトだったメンバーから「もう一度砂漠で一緒に走ろう」と誘われたら走りに行くかもしれませんね(笑)。

編集部:
今後は競技との向き合い方が少し変わりそうですね。

鈴木:
今までは走ることは自分の目標達成のためにやってきました。ただ、今回のレースを通じて色々と考えるところがあり、「これからは何か人のためにできることがないか?」と考えるようになりました。そういう意味では形を変えて新しい挑戦はこれからも続くのだと思います。

編集後記

今回のインタビューを通じて、砂漠マラソンという過酷な競技は気持ちや考え方にも大きな変化をもたらすということに感銘を受けました。話を聞いていて、「自分も何か新しい挑戦をしてみたいな」と感じました。それはもしかしたら新しい自分に出会える長い旅でもあるのかもしれません。
このインタビューをご覧になっている方も何かしら新しい挑戦をしてみてはいかがでしょうか?もしかしたら少しの勇気で踏み出す1歩が人生を変えてしまうかもしれません。

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ランチップスの運営スタッフがランニングが楽しくなる、トレーニングに役立つ情報を発信します。
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